最高裁判所第二小法廷 昭和47年(行ツ)65号 判決 1976年1月26日
上告人
尹秀告
右訴訟代理人弁護士
猪俣浩三
藤本時義
被上告人
東京入国管理事務所
主任審査官
水間正芳
右指定代理人
海老根進
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人猪俣浩三、同藤本時義の上告理由第一点の第一について
いわゆる政治犯罪人不引渡の原則は未だ確立した一般的な国際慣習法であると認められないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
同第二について
逃亡犯罪人引渡法(昭和二八年法律第六八号、昭和三九年法律第八六号による改正前)は一般に条約の有無を問わず政治犯罪人の不引渡を規定したものではないとした原審の判断は、正当として是認することができる。所論は、本件行政処分がなされた後に改正された法律の規定を前提として、原判決を非難するものであつて、失当である。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
同第二点について
上告人が韓国に送還された場合、その政治活動につき処罰されることが客観的に確実でないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨はひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(岡原昌男 大塚喜一郎 吉田豊 本林譲)
上告代理人猪俣浩三、同藤本時義の上告理由
第一点判決に影響を及ぼすこと明かな法令違背
第一、原判決には、国際慣習法の解釈適用を誤つた違法がある。
一、純粋な政治犯罪人に対しては、政治犯罪人不引渡の原則が国際慣習法として確立していることは、通説(高野雄一「政治犯不引渡と高裁判決」ジユリスト五〇一号八〇〜八二頁、横田喜三郎「国際法」有斐閣二二二〜二二四頁)の認めるところである。
しかるに原判決は、第一審における鑑定人大平善梧の鑑定の結果(以下大平鑑定という)を引用する以外何等の理由を示すことなく、政治犯罪人不引渡の原則が国際慣習法であることを否定した。
1 原判決が、政治犯罪人不引渡の原則が国際慣習法として確立していないと解釈した理由は、大平鑑定と同一と思われるので、大平鑑定並に第一審証人大平善梧と証言(以下大平証言という)から、その理由を抽出すると次のとおりである。
(ア) 個人は、国際法上の主体ではないので、個人として政治犯罪人は亡命国に対し、不引渡を請求する国際法上の権利はない。したがつて、国家は不引渡の義務があるところまで行かない。(鑑定一、(3)、(イ))
(イ) 政治犯罪人不引渡の原則は、自由と平等を基調とする民主国家の利益のために主張されてきたもので、必ずしも亡命者の個人的な人権擁護のためのみから行なわれてきたものではない。(鑑定一、(3)、(イ)、a)
(ウ) 政治犯罪人を庇護する各国の意図も必ずしも一様ではない。(鑑定一、(3)、(イ)、b)
(エ) 政治犯罪人の一般的な定義を決定することは困難であり、従つて具体的な庇護の義務を亡命国に負担せしめることは、現在のところ好ましいものではない。
無限定の義務を各国が引受けるはずがなかろう。(鑑定一、(3)、(イ)、c)
(オ) 政治犯罪人の認定権は、亡命国側にあるのであつて、自由裁量の余地ある分野に義務が科されているとみるのは不適当である。(鑑定一、(3)、(イ)、d)
(カ) 政治犯罪人に不引渡を請求する権利があると主張するには、本人が政治犯罪を立証し、これを自ら認定することが可能であることを前提とせねばならないが、他国で犯した犯罪を滞在国にあつて立証し、審査することは困難であり、当該国家としても本人の申立をそのまま容認するわけにもゆかぬ場合が多い。(鑑定一、(3)、(ロ))
しかしながら、大平鑑定の掲げる前項の各理由は、いづれも本慣習法の成立を否定するものではない。
(ア)' 個人が、国際法上の権利主体でないことは、大平鑑定のいうとおりであるが、政治犯罪人不引渡の原則の内容は、政治犯罪人個人の国際法上の権利を認めるものではなく、国相互の間でこの慣習法が成立しているということである。従つて、各国は国内で右慣習法を実施すべき国際法上の義務があり、慣習法の効力をそのまま国内法として認めるかまた慣習法の内容を実施するための国内法を設けるかのいづれかによつて、その義務を履行する(日本の逃亡犯罪人引渡法二条一・二号はまさしく後者である)。このいづれの場合にも個人は各国内法に基いてその国に不引渡の利益を主張できるのである。この点について、大平鑑定は、右原則の理解を誤つている。
(イ)'(ウ)' 政治犯罪人不引渡の原則の適用に当り、国の利益、政治的便宜を無視することはできないが、それのみに偏つてはならない。
個人の政治的自由、基本的人権も尊重されなければならない。主として国(または君主)の利益関係に即して成立していたそれまでの国際法規に対し、個人の自由・権利の思想も一面で加味されることにより、一九世紀の過程でこの原則は成立しかつ確立するに至つたのである。この原則の適用が純粋な政治犯罪人について確立し、普通犯罪をも併せ犯すいわゆる相対的政治犯罪については、重大な普通犯罰の場合にはこの原則の適用が排除されている(一八九二年万国国際法学会の結論たる結議第二条(ジユリスト前掲)フランス、オランダ、スエーデン、スイス、ブラジル、イラン、リビヤの各国内法規)のは、まさしくここのように、国の利益と政治犯罪人の人権の調和の結果である。
国際法学上或い各国内法の法制上、政治犯罪の範囲につき、純粋な政治犯罪・相対的な政治犯罪とか、複合犯罪・結合犯罰、或いはベルギー条項、スイス条項等の議論がなされているのは、いづれもこの原則の適用範囲を画するための努力の結果なのであつて、この原則を否定するのは、これらの多年にわたる努力を基礎として実定化した法規範を無視ないし否定するものである。
わづかながら見出される政治犯不引渡の原則の主張が斥けられた一九二六年の二つのドイツ裁判例(ハーバート研究会の研究(ジユリスト前掲八四頁)が、いずれも殺人を犯した相対的政治犯罪人についてであることも、以上の原則の存在を裏書するものである。
(エ)' 政治犯罪人の一般的な定義を決定することは困難であるというが、大平証言では「政治犯罪というものの定義が大体においてでていると思う、しかし政治犯人と普通犯人との区別というような、デリケートな点になると、結局問題になるところの法律或いは条約に即して具体的に定められてかまわない」と述べている。
すなわち、少くとも純粋な政治犯罪人については、その定義が略明確になつていることを、大平鑑定人自ら認めているのである。
多数の条約或いは各国内法上、政治犯罪人という概念は広く認められて存在しているのである。
政治犯罪人の定義を決定することが困難であるから、多数の条約や国内法が無効であるとか実効性がないとかいう説を聞いたことがない。それと同様に、その事から国際慣習法の成立を否定する議論は誤りである。
又具体的な庇護の義務・無限定の義務を亡命国に負担せしめることは好ましいことではないとか、引き受けるはずがなかろうというが、政治犯罪人不引渡の原則の内容は、亡命国が政治犯罪人を庇護したり、無限定の義務を負担することではなく、政治犯として処罰することの確実な本国に引渡してはならない――この一点に尽きるのである。
従つて、本国以外の他の国に退去させることは右原則の適用範囲ではなくこの原則に反するものではないのである。万国国際法学会の結論である決議の第十五も両者の差異を明言し(ジユリス前掲)、高野鑑定もその点を指摘している。
大平鑑定、大平証言は、この点について右原則の内容を誤解しているといわなければならない。
(オ)' 政治犯罪人の認定は自由裁量であるというが、大平証言では自由裁量ではないとし、亡命国の法律・判例・先例或いは経験則に従つて認定されるものであり、恣意的な認定は許されないし、だれが見ても政治犯罪人と考えられるものは、自由裁量ではない、とはつきり述べている。従つて自由裁量の余地ある分野に義務が科されるのは不適当という理由は成り立たない。
(カ)' 他国で犯した犯罪を滞在国にあつて立証し、審査することは困難であり、当該国家としても本人の申立をそのまま容認するわけにも行かぬ場合が多いことはそのとおりであろう。
しかし、立証が困難であることと、右原則が認められるか否かということは、別個の問題である。立証に失敗すれば、政治犯罪人と認められず引渡されるという不利益を受けるだけの事であって、右原則が否定されるわけではない。
又政治犯罪人不引渡を請求するのは、他国で犯した犯罪を滞在国にあつて立証する場合に限らない。上告人の如く、本国で政治犯罪とされるべき行為を滞在国で犯したものを滞在国で立証する場合もあり、その場合には、その立証・審査が困難であるとは限らない筈である。
又本人の申立をそのまま容認するわけにもゆかぬことは当然であり、その認定が厳格になさるべきことに異論はない。
要するに本人の主張に軽々に依拠してこれに不引渡の利益を与え国家の利益を徒に害することがあってはならず、また他方の当事者の主張を軽々に信頼して政治的処罰のため引渡をして個人の権利をじゆうりんし、国としての国際的義務に不忠実であるという汚名をうけてもならないし、この両面から立証は慎重でなければならないのである。
大平鑑定は、政治犯罪人の立証及びその認定の困難性と、本原則の成否とを混同している。
2 大平鑑定(及びそれを引用する原判決)の解釈は、論理的に誤つているか、矛盾がある。
(ア) 大平鑑定は「国家は原則としてその領域にある他国の犯罪人を引渡す義務がなく、犯罪人引渡条約を締結している場合にその条約当事国間で相互に引渡義務が生じるが、その場合でもその除外例として政治犯罪人の引渡を拒む権能があるに過ぎない」という。
各条約(例えば日米犯罪人引渡条約)には、「政治犯罪人は引渡してはならない」と明記してあるにもかかわらず、大平鑑定の解釈によれば、それは引渡を拒む権能を規定してあるにすぎず、引渡してもよい、というのである。
大平鑑定自体も、政治犯罪人不引渡の原則は、自由と人道に基く国際通誼ないし国際慣行であることを認めている。
そのような背景の下で、各個別条約が政治犯罪人を引渡してはならないと明記しているにもかかわらず、大平鑑定がそれを引渡してもよいと解釈するのは、どんな理由によるものであろうか。
他に意図がないとしたら、かかる恣意的独善的解釈を敢てするのは、法的判断の完全なじゆうりんであり放棄である。常識ある者の到底理解し得ない論理である。
(イ) 大平鑑定は、「政治犯罪人不引渡の原則は……未だ確立した一般的な国際慣習法であるとは認められない。……しかし他面において、政治犯罪人不引渡の原則を規定しており、その限りでは政治犯罪人は引渡してはならないことが、その国の国内法としては確立している(鑑定一、(2))、と云いながら、昭和二八年に制定された逃亡犯罪人引渡法二条一号、二号の規定は、訓示規定にすぎず、亡命者個人に庇護を求める権利を与えたとは解されない、というのは論理的に矛盾している。のみならず比較法的にみても根拠がない。
3 原判決は、第一審における鑑定人小田滋の鑑定の結果(以下小田鑑定という)及び同証人小田滋の証言(以下小田証言という)をも援用しているので検討する。
(ⅰ) 小田鑑定が、政治犯罪人不引渡の原則を否定する各理由はいづれも誤りである。
小田鑑定が右原則を否定するために挙げる理由は、
(ア) 政治犯罪人不引渡の原則は、逃亡犯罪人引渡の相互義務の下における例外としてもうけられたもので、本来的には当該条約締結国の権能を意味するにすぎないこと。
(イ) 条約の規定のしかたからいつても、先ず条約の中には規定のしかたが許容的なものがあること、第二に相手国から逃亡してきたものにつき、相手国から引渡の請求があるときに、これを相手国に引渡さない義務を相手国に対しておうというのは、論理的にナンセンスであるから、政治犯不引渡条項そのものから政治犯不引渡の条約上の義務を導きだすことはできない、ということのようである。
しかし(ア)の理由については前項(2、(ア))で述べたとおり、論理的におかしい。義務の例外ならば、「引渡さなくてもよい」、「拒否してよい」と規定すればよく、またそうすべきところ、日本の条約、日本の国内法を含めて、多くの条約・国内法は「引渡してはならない」、「引渡を許してはならない」と規定している。これらの具体的事実を無視した観念的な議論である。
(イ)についても原審で詳しく述べたとおり、純粋の政治犯罪人に関する限り、(多くは重大な普通犯罪を併せ犯していない相対的犯罪を含めて)多数の二国間条約は、すべて不引渡を命令的・義務的に定めている。全く例外的にそうでないものがあるといわれるが、それは過去の歴史的存在か、現在まれにあるものについては、相対的政治犯に該当するものを無制限に政治犯罪に含めてとらえている場合など、そのような規定または措置について特有の事情が考えられる場合に限られる。このような例外的な許容的規定は、犯罪人引渡義務に対する除外規定としておかれている。つまり政治犯罪について引渡義務を否定するのが主眼であつて、それは引渡の許容と同一ではない。不引渡義務の存否は、(相対的政治犯についても、引渡の拒否は一般にあることだが、不引渡義務は一般には重大な普通犯罪を併せおかした相対的政治犯には否定される)別の根拠から独自に考えうるし又考えなければならないものである。
次に、二国間条約に規定される一方の当事国の負う義務は、他の当事国のみに対するものとは限らない。条約上の義務は、一般国際(慣習)法を背景として一般に負つているものを規定していることがある。この点を認識すれば、またこの点を認識することによつて、多くの条約や国内法に規定された命令的義務的な引渡禁止の規定の意味を適確にとらえることができる。
引渡を要求することあるべき相手国を含めて、一般に政治犯罪人を引渡してはならないという国際法上の義務を、二国間条約に表現し、確認することは充分ありうることであり、現にその背景の下に規定はできているのである。
(ⅱ) 小田鑑定は、一方で前述の如く政治犯罪人不引渡の原則を否定しながら、他方で「又亡命者をいかなるものであれ、迫害のまつ国へ送還してはならない。このことは当然に引渡請求のあつた逃亡政治犯罪人を引渡してはならないこと、政治犯不引渡をも含むと考えられる。政治的理由による刑罰は政治的迫害の典型だからである。」といい、政治犯罪人不引渡の原則を背定している。このように、小田鑑定は、それ自体矛盾を含んでおり、それを援用した原判決も、したがつて同じ誤りを犯している。
以上検討したとおり、大平鑑定並に小田鑑定が、右原則の成立を否定するために挙げた各根拠は、いづれも薄弱であり、又右両鑑定自体多くの論理的な矛盾・撞着を含み、到底採用しがたい。
しかるに、これを採用し、右原則の成立を否定した原判決の解釈適用は誤りである。
二、原判決は、高野鑑定の一部を採用し、政治犯罪人不引渡の原則が適用されるには、逃亡者が相手国で政治犯罪について有罪判決を受け或いは起訴されている事実、又は逮捕状が出ている事実が必要であるという。
しかし第一審証人高野雄一の証言(以下高野証言という)では、有罪判決とか起訴されているとか逮捕状がでている等の形式が必ずしも一〇〇パーセント整つていない場合に、いろんな客観な素材から自主的にその要件を当然満たすものというふうに、はつきり証明できるような場合には、同じようなカテゴリーに属することは法の一般的判断としてできる、と述べていることが認められる。又大平鑑定も政治犯罪は引渡理由として挙げられた犯罪が、政治的動機又は政治的目的をもつて行われたことを主張するのであるから、必ずしも訴追ないし刑の確定を問題となしがたい、と述べているのである。
形式が整わなければ、実質的にみて政治犯罪人である者が、政治犯罪人でなくなるというとこは法常識にす反る。
本国が、訴追をせずに亡命国政府に非公式に引渡を請求すれば、政治犯が引渡されたり、訴追がないことを、幸いにして亡命政府が政治的利益のために政治犯の引渡をするということが行なわれ弊害をまねき易いのである。(東京地判昭和44.11.8判例時報五七三号26頁以下)。形式を絶対視するとこのような法的矛盾を犯すことになり、かかる形式的解釈が充分でないことが反面から立証される。
この点に関する原判決の解釈も誤りである。
三、原判決は、また他国がみだりに政治犯罪人であると断定することは許されず、その可能性を疑う余地なく顕著な場合に限ると判示している。
しかし大平鑑定は、政治犯罪人の認定権は亡命国側にあることを認めている。
勿論、本国の法の解釈・適用の先例を判断の素材とすべきことは当然であるが、しかし政治犯罪人であるか否かの判断は、あくまでも滞在国において自主的に行うべきものである。
若し、判決の論理にしたがえば政治犯罪人を本国に引渡してからでないと、引渡してはならない政治犯罪人であるか否が判断できないことになつて、明かに不合理である。
西歴一九五四年のコルシチンスキー事件において、イギリスの裁判所は、「……人道のために、この言葉(政治犯)に我々が与えているよりも、よりひろい、そして寛大な意味を与えることが必要であることを示している。」(小田鑑定)と述べていることに留意すべきである。
四、原判決は、また退去強制処分と政治犯罪人不引渡の原則とは、その性質を異にする別個の処分であって、これをもつて政治犯罪人を請求国に引渡す場合と同視することはできないという、退去強制と政治犯罪人の引渡とが別個の処分であるという解釈は、そのこと自体としては正しい。
しかし、たとえ退去強制事由があつても、政治犯罪人は引渡してはならない、というのが正しい解釈である。
我が国の逃亡犯罪人引渡法二条一号・二号によれば、政治犯罪人不引渡については除外側を認めていないことが認められる。
同法二条の一号、二号の政治犯罪人は、絶対的に引渡しをしてはならない場合である(伊藤栄樹「逃亡犯罪人引渡法解説」法曹時報16巻6号二三頁。)。
前条三号、四号は、いわゆる微罪であるから、費用と手数をかけてまで引渡す必要性が認められないところから、引渡してはならないと規定されているのである。したがつて、引渡条約に別段の定めがあれば引渡してもよいし、別の制度から、例えば退去強制の法的事由がこちら側の都合としてあれば、相手国に退去させてさまたげにはならない。
しかし、政治犯罪人の場合には、微罪だから敢て引渡の労をとつてやらないというのでなく、犯罪の特殊で重大な性質から不引渡が認められているのである。したがつて、退去強制事由があつても、相手国に退去させることは、偽装された政治犯罪人の引渡として否定されるのである。政治犯不引渡について相対的政治犯をめぐる論争が重大な普通犯罪を併せ犯した相対的政治犯については不引渡の原則を除外することに帰着(万国国際法学会の結論たる一八九二年の決議第二項および多くの国の国内法規定)しているが、そこには通例の退去強制事由のような軽微なものが含まれている例は一つもない。そのことからしてもあきらかである。この点も原判決の解釈は誤りである。
第二、原判決には、逃亡犯罪人引渡法の解釈適用を誤つた違法がある。
一、原判決は、大平鑑定を引用して我が国の逃亡犯罪人引渡法(昭和二八年法律第六八号)は一般に条約の有無を問わず政治犯罪人の不引渡を規定したものとは認められない。」と解釈している。
しかし、右法律は、昭和三九年法律第八六号として改正され、条約の有無を問わず、相互主義の保障の下に、いづれの国からの引渡請求に対しても逃亡犯罪人の引渡を行うことになつたのに伴い、政治犯罪人不引渡を規定したものである(伊藤栄樹前掲一頁以下)。
つまり、旧法の場合より、逃亡犯罪人の引渡請求に対し国内法上応ずべき場合は増加した。それだけにそれらの請求にかかわらず、引渡請求が「政治犯罪」であるとき、あるいは引渡請求が、「政治犯罪について審判し、又は刑罰を執行する目的でなされたものと認められるとき、」逃亡犯罪人を「引渡してはならない」(逃亡犯罪人引渡法二条1号2号)場合、即ち請求を拒否しなければならない場合もふえることになる。この規定が、「政治犯罪」あるいは「政治犯罪について審判し又は刑罰を執行する目的」があると認められる逃亡犯罪人について、引渡請求があるときに限り引渡しが許されず、引渡請求さえなければ右の場合に引渡しが許されるというような意味は、この規定からはまつたく出てこない。一方、わが国法の右の規定は政治犯罪について「引渡条約」の有無を問わず「引渡してはならない」と明文をもつて規定しているので、右の大平鑑定の立言はまったく根拠がない。
二、逃亡犯罪人引渡法は、いわば手続法であり、逃亡犯罪人引渡に関する政府の手続の基準、義務を定めたものであるが、その基礎には逃亡犯罪人の権利・地位が規定されていることはいうまでもない。同法二条は逃亡犯罪人を「引渡してはならない」場合を定めているが、なかでもその一号、二号の政治犯罪人不引渡について、他の場合(三・四・八・九各号)と、例外を認めず、絶対的な形で引渡してはならないと規定している。しかるに、この規定を訓示規定であつて、その明文に反して引渡さぬ権能を定めたにすぎず、必要あらば引渡しもよいと解釈する大平鑑定並にそれを引用する原判決は明かに誤りである。
三、本法は、相手国から逃亡犯罪人の引渡請求があつた場合の手続法である。
同法二条一号二号は、引渡請求があつた時にも、政治犯罪人については引渡してはならないと規定している。これを引渡請求がないときは引渡してもよいと解するのは不合理な論理的矛盾であり、かつ政治犯不引渡制度の歴史的実質的な存在理由に反し、規定の解釈を誤ったものである。引渡請求がない時には、なおさら政治犯罪人を引渡してならないと解するのが法常識というものである。引渡請求があつた時でさえ引渡してはならない政治犯罪人を、引渡請求がない時には引渡してもよいと解するのは全く不合理である。
各国の引渡に関する法律は(フランス、ドイツ、ギリシャ、ノルウェー、スウェーデン、スイス、イギリス、ユーゴースラヴイア、アメリカ、アルゼンチン、ブラジル、インド、イラン、イスラエル、レバノン、――被控訴人の主張別紙一)、いずれも、政治犯罪の引渡を「許さない」と規定している。これは、過去の万国国際法学会(一八八〇―一八九二年)の検討においても一九三五年のハーバード法律研究会の調査においても、あきらかにされているところであり、控訴人もまた認めている事実である。日本の逃亡犯罪人引渡法二条一号二号の規定も、これと基本を同じくするものである。日本の現行法の前身である明治二〇年の逃亡犯罪人引渡条例にも、政治犯罪人を「引渡スコトヲ得ス」の規定(三条)があり、これは、一八九一年の万国国際法学会の報告者に言及され、かつ、政治犯罪の「引渡をすることはできないという原則」は、「日本でさえそれを国内法で規定した」と記されている。翌年一八九二年の万国国際法学会では、「引渡は、純粋に政治的な犯罪については認めることができな」いという結論を出すると共に、「日本自らもそれを規定している」と言及されている。現行法の政治犯罪引渡禁止規定は、基本的にこの旧規定を継承したものである。したがつて、万が一にも、政治犯罪人不渡の原則が、国際慣習法として確立していないと仮定しても、国内法たる逃亡犯罪人引渡法二条一号・二号の規定を適用して、本件処分を取り消すべきであつた。
しかるに、本法を適用せずに上告人の申立を棄却した原判決はその解釈適用を誤つている。
第二点理由不備ないし理由そごの違法
第一、原判決は、上告人が韓国に送還された場合処罰されることが客観的に確実であると認められないと判示するが、右判断には理由不備ないし理由そごがある。
一、原判決が右のように判断した論理は次のとおりである。
1 趙鏞寿が処刑されたのは「以北傀儡集団から流れた資金を得て同集団に同調する活動を行つたことが問題とされたと考えられる(当審証人裵基鎬の証言もこのことを裏付けている)。」
2 単に南北統一運動を行つた李禧元は処罰されない。
3 上告人の行つた(イ)趙鏞寿の助命運動は純粋な人道的立場から行つたもの、(ロ)南北朝鮮統一運動はイデオロギーを越えた朝鮮民族全体の悲願の達成を願つたものであって、右判決にいう傀儡集団に同調しようが為ではないから、李禧元と同じであり、趙鏞寿とちがうし共産党員又はその同調者でない。したがつて、処罰されるおそれはない、というのである。
二、しかし原判決の右理由は誤りである。
1 趙鏞寿が処刑された理由は、右判決にいう「以北傀儡集団から流れた資金を得た」ところに重点があるのではない。
(ア) 趙鏞寿が処罰された特殊犯罪処罰特別法第六条は「政党、社会団体の重要な職位に居たもので、国家保安第一条に規定された反国家団体の情を知りながらその団体、あるいはその活動に同調・その他の方法でそれを助けたもの」と規定されており、国家保安法第一条に規定された反国家団体とは「政府を僣称するか国家を変乱する目的の結社または集団」と規定されている。
「以北傀儡集団から資金が流れている」ということは、右特別法第六条の構成要件には直接該当していないことは明かである。それはただ同条の構成要件の中の「反国家団体の情を知りながら」という事実を推測させる一つの徴表として、右判決の犯罪事実に記載されているものであつて、右資金が出ている事実がなければ、或いは資金の出所が別のところであれば、右特別法第六条に該当しないというわけでないことは、右判決文を一読しただけで判明する筈である。
その事は、当時同じく特別法第六条によつて処罰された民統学連事件、社会党事件、社会大衆党事件(甲第八号証)の起訴状等からも明かであつて、右各事件においては、資金の出所等は全く問題になつていないのである。
(イ) 却つて、原審における証人朴太煥の証言によれば、右趙鏞寿に資金を提供したのは李禧元であつたというのであり、李禧元は、単なる南北朝鮮統一運動を行つたにすぎない者であつたと原判決が認めたのであるから、趙鏞寿は全くの寃罪で処刑されたことになる筈である。
又寃罪でないとすると、右趙鏞寿は「以北傀儡集団」から資金を得たのではなく、単なる南北朝鮮統一運動家である李禧元から資金を得て、民族日報社新聞を発刊し、南北朝鮮統一をとなえて言論活動をしたにもかかわらず、革命裁判所は、前記(原判決で摘示)のとおり趙を有罪と認定して処罰したことになる筈である。
この事は、その資金の出所等は問題ではなく、趙鏞寿の行つた南北朝鮮統一のための活発な言論活動を弾圧するために、そのような口実を設けて処刑したものといわざるを得ない。
したがつて、共産主義者やその同調者でなくても、南北朝鮮統一運動や反軍事政権的行動をとれば、処罰されたのである。
(ウ) 原判決は、また、裵基鎬の証言も原判決の認定を裏付けるというが、同人の供述には、それをうかがわせる証言は全く見当らない。
2 南北朝鮮統一運動を行つた李禧元は韓国に帰つても処罰されないと判示するが、李禧元が南北朝鮮統一運動を行つたという直接の証拠はない。
原審証人朴太煥の供述によれば、李が趙に民族日報社設立の資金を出したこと、李承晩政権に反対したことは認められるが、積極的に南北朝鮮統一運動を行つた証拠は全くない。
原審証人尹赫孝の証言によれば、軍事革命直後、民団中央本部執行部がいち早く軍事政権支持の決議をしたのに対し、李禧元が右執行部改革運動のリーダーとして活躍したが、その後民団中央本部団長となり、朴政権を支持するに至り、昔の同志を裏切つたことが認められる。
かつて南北朝鮮統一運動を行い、朴政権反対を称えた者でも、その後転向して朴政権を支持すれば、何ら処罰されないことは原審証人尹赫孝・同裵基鎬の各証言によつて認められるところである。
そして上告人は後述の如く一貫して南北朝鮮統一、朴政権反対の論陣を張つている。
したがつて、李禧元が処罰されないから上告人も処罰されないという原判決の認定は誤りである。
3 上告人等が行つた趙鏞寿の救命運動は、純粋な人道主義的立場からだけではない。言論・出版・結社の自由、基本的人権の尊重・民主々義擁護を目的とし、朴軍事政権の反民主性を弾がいし、その退陣を求めていることは明かである(甲第八号証)。
又南北朝鮮統一の主張は、イデオロギーを超えた朝鮮民族全体の悲願であることは明かであるが、軍事革命政府にとつては、それを主張することがすなわち右判決にいう傀儡集団に同調することであり、処罰に価することであつたのである。
それは民族日報社事件・民族学連事件、社会党事件(甲第八号証)によつて極めて明白である。
すでに述べたとおり、趙鏞寿が民族日報社を設立した資金が李禧元から出ているとすれば、趙鏞寿と李禧元の統一運動は同じ性格であつた筈である。それにもかかわらず趙がその統一運動の故に処罰され、李が処罰されなかつた理由は唯一つ、李が趙を裏切つて、転向し朴政権を支持したからに外ならない。
又趙が共産主議者でも、同調者でもなかったことは、同人が在日中在日韓国人の北朝鮮への送還に強く反対し、その運動の先頭に立つて活動したことによつても認められるところである(裵基鎬の原審証言)。
従つて、上告人が共産主義者又は、その同調者でないから、李禧元と同様に処罰されないという原判決の判断は理由不備というべきである。
4 上告人等が企画し実行しようとした日比谷公園における民衆大会が、民団中央本部執行部によつて暴力的に妨害されたのは、原判決の判示するような理由によるものではない。
上告人等がそれまで度々民団中央本部に対し、趙鏞寿の救命運動を強力に推進するよう要請したにもかかわらず、軍事政権をいち早く支持した民団中央本部執行部は、極めて消極的であつたがために、上告人等はやむなく本部の所在地である東京日比谷公園に場所を選定して、救命大会を開催せざるを得なかつたのである。(原審証人裵基鎬、同尹赫孝、同金仲泰の各証言。)
右民衆大会を主催した民団栃木県本部の団長裵基鎬は、趙鏞寿と共に朴軍事政権から反国家団体とされていた社会大衆の党員であり、上告人は右裵の団長選挙運動の中心となつて、同人を団長に当選させ団長のすいせんにより同本部の書記局長となつたいわば同調者であつた。
そして上告人等の趙救命運動における主張も、前述(3)の如く単なる人道主義の域に止らず、反軍事政権的であつた。それ故にこそ、軍事政権支持の民団本部執行部が、暴力的に右大会を妨害したのである。そして、更に裵基鎬並に上告人等栃木県本部執行部を辞任に追い込んだのである。これらの一連の経過を見れば、当時の民団中央本部執行部がいかに上告人等を敵視していたかが判明する。
それなとりもなおさず、朴軍事政権の考え方であつた筈である。その後、民団中央本部が上告人が編集長をしている民族統一新聞社を敵性団体と指定したこと(原審証人尹赫考、同裵基鎬・同金仲泰の各証言)によつてこの事は裏付けられている。
三、以上の検討によつて明らかな如く、上告人が韓国に送還されれば、処罰されることは客観的に確実であるにもかかわらず、原判決のかかげる理由はいづれも誤りであり、結局原判決は理由不備の違法があるといわざるを得ない。
第二、原判決が第一審判決を破棄して上告人の請求を棄却した根本の理由は、原審裁判所が韓国のきびしい政治状勢に対する認識を欠いだ為である。
一、現在韓国においては非常事態宣言が発布され、言論・出版・結社の自由は禁圧され、国民の基本的人権が無視されていることは公知の事実である。
二、悪名世界に名高い東ベルリン工作団事件をはじめ、ヨーロッパ、日本地域における北朝鮮スパイ団事件、統一革命党事件、解放戦略党事件、荏子島事件、ソウル師大読出事件や、最近における徐兄弟事件等、朴政権成立以来今日に至るまで、政治的弾圧事件が後を断たない状況である(甲第二七号証ないし甲第六〇号証)。そして、それら各事件は、いづれも北朝鮮のスパイであったという口実が設けられている点に共通性がある。
軍事革命直後の民族日報社事件、社会党事件、社会大衆党事件、民族学連事件もすべて同様であつた。
そのため、社会大衆党は、原判決も認めているとおりかい滅したのである。
三、現在、日本においても決して安全ではない。原審証人尹赫孝は、法廷において真実を証言するについてさえも身の危険を冒さざるを得なかつた。(同人の原審における証言)。
上告人が証人として申請した陳東徹は、遂に証人として出頭しなかつたことは、本件記録上明かであるが、それは、民団中央本部の介入によるものであつた(原審証人尹赫孝の証言)。
その民団自体、朴政権を支持する一派と、民主的・民族的主張をする人々との間に激烈な内部斗争を展開している状況なのである。
四、上告人は一九六三年三月、大村収容所から仮放免されて以後、同年四月から統一朝鮮新聞社(東京都新宿区四谷一―一)に入社して南北朝鮮統一運動に継続して従事し、六五年七月には韓国民族自主統一同盟日本本部(略称、韓民自統)を結成するに至つたが、朴政権の「韓日協定」「ベトナム派兵」の強行など激化する反動攻勢の前で、右新聞と韓民自統の元心昌、李栄根一派は朴政権に投降して転向するに及び、それを糾弾すべく上告人は同志らと共に分立して一九六八年三月から民族統一新聞(東京都新宿区若葉町二―九)を発刊して今日に至るまで一貫して南北朝鮮統一、朴政権打倒を主張して来た。
この理由書に添付した資料は、去る五月二十九日の民団の全国団長会議の席上に公開されたものであるが、要するに上告人らが所属していた韓民自統が民団中央本部から受けた敵性団体規定の解除をめぐる問題の一部始終が明らかにされている。すでに朴政権に転向した元心昌、李栄根一派ですら敵性団体規定の解除をめぐりこれほど紛糾を繰返しているのに、ましてやその元心昌、李栄根一派を厳しく糾弾し、朴政権反対の立場を強化している上告人に対しては、民団中央本部、駐日韓国大使館、朴政権から敵性の規定をさらに補強されていることは自明の理である。
以上の諸事実を冷静に考察し、韓国の国内状勢を洞察するならば、上告人が韓国に送還された時は、処罰をうけることは客観的に確実であると云わざるを得ない。
しかるに、それを見誤つた原判決には理由不備がある。
よつて原判決は破棄さるべきである。